検討中

どういうブログにしていくか検討中です

とんでもでもとんでもじゃなくても

なんかの呪文みたいなタイトルになってしまいましたが。いわゆるとんでもスポーツ漫画、について考えていることをちょっとだけ書きたいと思います。なお、私はとんでもスポーツ漫画大好きです。

 
まず、とんでもスポーツ漫画とは、実在するスポーツを扱いつつも、現実の競技ではありえない物理法則だったり効果だったりを伴う技が飛び出す漫画という認識です。そしてその「ありえない技」を繰り出す登場人物たちは「ありえないポテンシャル」を持っていたり、「ありえない練習」をしたりします。じゃあこれまでのスポーツ漫画でどれがとんでもスポーツ漫画なのか、っていったら正確に分類するのは難しいと思うのですが、とりあえずアストロ球団キャプテン翼テニスの王子様って言っておけば間違いない気がする。
 
さて、このとんでもスポーツ漫画、「リアルじゃないから読めない・楽しめない」人たちが一定数いるらしいことを周りやネットを眺めていると感じるのですが、そういう感覚もわかる気はするんです。誰にでも「これをされると物語に集中できない」ポイント、いわゆる「冷め(覚め)」ポイントは多かれ少なかれあると思っていまして、「とんでも要素」が冷め(覚め)ポイントな人はそりゃあ合わないだろうなと。
 
でも私は、この「とんでも要素」がある意味でのリアルさ、真実を描写するのにとても有効な手段だと思ってるんですよね。だから、「とんでもスポーツ漫画はリアルを描写できてないから作品として一流ではない」という意見には「ちょっと待った!!」と言いたくなる(笑)。実際のところそういった意見はあんまり見たことないですけど。
 
なお、上に挙げたとんでもスポーツ漫画の中で私がかなり読み込んだのがテニスの王子様(以下テニプリ)なので、これから書くことは主にテニプリのことになります。
 
 
本題。とんでも要素はいかにしてスポーツの「リアル」を描いているのか。
私はとんでもスポーツ漫画のとんでも要素は、登場人物たちの努力の大きさとか、想像もしないことが起こった時の驚きとか、強大な敵が立ちはだかった時の絶望感とか、対戦相手とルールに勝つための試行錯誤の結果を、そのスポーツを実際にはやらない人たちにもわかりやすく伝える方法の一つだと思っています。
 
テニプリで「強大な敵が立ちはだかった時の絶望感」が一番よく感じられたのは、やっぱり全国大会青学VS立海リョーマが幸村と対戦した時に五感を奪われたとき。当時も「これがテニスかよwwww」みたいな感想はネットで見かけたし、かくいう私もリョーマに感情移入する前に若干混乱したのですが。でも改めてこの時のリョーマの心境を想像してみると、そうとうきついですよね。五感を奪われてしまったから、ボールは見えず相手の気配もわからず、自分の感覚すらわからなくて次の一手が見つからない……。でもこの感覚って、自分よりめちゃくちゃ強い相手と対戦したら現実でも陥るものだと思うんです。相手が打ったボールは早すぎて見えないし、捉えたと思った相手がいつの間にか移動しててどこにいるかわかんなくなるし、今自分がどんな動きをしてるのかわかんなくなってきて次何をすればいいかなんて考えられない。。。といったふうに。その時感じる絶望感は、その試合に懸けていればいるほど、五感を奪われることと同等に深いものになるのではないかと思います(私はトッププロのアスリートでもなんでもないので、そこまで追い詰められた経験はなく、どうしても想像は入ってきてしまうのですが)。つまり、実際にテニスの勝負で五感を奪われることはなくても、リョーマが五感を奪われた描写を入れることによって、どんな読者でも対戦相手との実力差が圧倒的な時に起こる絶望をたやすく想像することができるようになっているというわけです。
 
「対戦相手とルールに勝つための試行錯誤の結果」の描写で最悪(笑)なのはアストロ球団人間ナイアガラとかですかね。。。いや、本当のところはあれは立派な走塁妨害なのでルールには勝ててないんですけど、「勝つためには手段を選ばず」の最たるものだと。うわ~~~卑怯!って思いますけど、これまでも例えば最初にルールの穴を突いた人間やチームは卑怯だと言われてたはずです。
 
ここまでつらつら書いた「とんでもスポーツ漫画もリアルを書いてるんだ!」ということについては、前々からぼんやり主張していたのですが、オリンピックやプロスポーツを見て改めて思ったことでした。だって、現実って漫画よりすごいじゃん。。。
 

 

バレエのピルエットの練習は本番の倍回るとか、イチローはひたすらルーティン守ってるとか。その道のプロ、トップアスリート達がいかに努力しているかということを色々な機会を通して知ることができます。しかも彼らの中でさらに競争があり、勝利する者と敗れる者がいることもまた私たちは目撃することができるんです。そしたらさ~~~、フィクションにおいて登場人物がトップを目指すのであれば、何事においても妥協してほしくないって思っちゃうんですよね。その点とんでもスポーツ漫画は妥協がなくて私は好きです。

 

以上、とんでもでもとんでもじゃなくても、結局そこにどれだけ(私にとっての)リアルさを感じられるかっていうのが(私にとっては)重要という話でした。この括弧書きの部分がそれぞれの好みってやつなんでしょうね。